徹夜することの恐ろしさ


おはようございます。クリアカ講師の石田です。皆さん徹夜したことはありますか?私は要領が悪いので一週間に一徹のペースで徹夜してしまっています。今日はそんなクレイジーなライフスタイルを貫いた結果や体験を踏まえて徹夜の恐ろしさを伝えたいと思います。

徹夜(リーサルウェポン)はうかつに使ってはいけない。

私が高校生の頃には一定数いました、テスト前日に徹夜でテスト準備をするが。大体そういう人ってパフォマーンスが発揮できずにテストの前に散っている姿が多く見受けられました。でもそれだけならまだいいんです。結局徹夜するのもテスト期間だけですし。私のように定期的に徹夜をし始めるとそれはもう悲惨なことになります。さて何が起こるのでしょうか?

①情緒不安定

まずこれですね。常に何者かの気配を背後に感じながら暮らしていくことになります。常に不安に駆られ軽井沢の温泉地でソフトクリームを食べていても安堵できる瞬間など訪れません。いろいろホルモンとかのバランスが崩れていると思うのですが やはり良質な人生は良質な睡眠から始まるようです。

②肝心なところで力尽きる

どんなに徹夜したところで肝心な話を聞くタイミングで寝てしまったりパフォーマンスを発揮するべきタイミングで出せなかったり、徹夜はポテンシャルを劇的に低下させます。徹夜は何も生み出しません。

 

③死ぬ

人は飲まず食わずで一週間は生存できる なんて 言いますが、徹夜は違います。連続3徹もすれば危篤状態です。病院行きです。メンテナンスを怠れば人だろうが機械だろうが壊れてしまいます。

 

 

まずは睡眠 そして余裕の確保を

余裕というのは時間的 金銭的 なんでも構いません。私は最近夜風に吹かれて珈琲を飲んでいると あ、贅沢だなと感じます。お金があればリッチなものが手に入りますが、お金がなくてもリッチな気分は手に入ります。やはり人間、落ち着いて珈琲を飲むぐらいの余裕は欲しいですね。

頑張らない時代の到来

残念ながら、人は勉強をどれだけ頑張っても幸せになれるわけではありません。勉強を教える身がこういうことを言うのは気が引けるのですが。思い浮かべてみて下さい。遊園地で笑っている人は全員偏微分方程式が解けるのでしょうか?世間一般で高学歴と呼ばれる人たちでしょうか?私は違うと思います。

 

もはや”頑張る”という言葉は死語にすべきだと思いませんか?これからはいかに楽をするか、いかにスマートになれるかがハッピーライフへのターニングポイントだと思います。仮に(無理をして)頑張るとしても 頑張るだけの理由を自分で設定すべきであり、理由なき努力はただの苦行です。親御さんは周りの人は”頑張れ”と言ってきますがなんて無責任な言葉でしょうか。ぜひ、自分のペースで日々を過ごしてください。ジャズを聴きながら11半頃に就寝をし、満員電車ではなくシトロエンのc6で移動するぐらいが豊かな人生です。徹夜とは無縁のライフスタイルです

 

自分は人のためとか世のためとか大層な理由ではなくただただシモンズのベッドで寝ることを目標に頑張ります。立派すぎる目標や志は長続きしませんね、ドラえもんも言ってます。